おまけ
『イティハーサ』の時代について……
※(かっこ)内の「文庫」はハヤカワ文庫の『イティハーサ』の巻数とページ数です。

『イティハーサ』は、単行本で全15巻の長編SFファンタジー。この漫画を最初に教えてくれた知人は、初め表紙を見て「歴史もの」らしいと言っていたような気がする。確かに服装は日本の古墳時代のもののような感じだ。
ところが実は、これは今から1万2千年前の話なのだ。
紀元前1万年といえば、氷河期が終わって日本列島が形成された頃、と考えられているが、縄文時代になるかならないか、メソポタミアの「肥沃な三日月」よりも以前の時代である。日本では石器を使って鹿や猪を追いかけ、骨格器なんかも使ったりしていたかもしれない。

ところが、イティハーサの世界は、普通イメージされるB.C.10000とはだいぶ違う。
これはどういうことだろう。ここまで発展した文明が一旦滅びて、また南方から来た文明が進化することになったのだろうか?いや、もしかしたら、今常識と思われている縄文時代の文化は想像に過ぎない、本当は金属製の剣も使っていたし、木綿の衣服も着ていたし、木簡に文字(さすがに漢字は無かったと明記されている。)も書いていたのかもしれない。

この時代は、歴史学的には「先史時代」の扱いと言える。
文章による史料をベースにする歴史学では、文字の発明より前の時代はなかなか研究の対象にされないだろう。だからこんな、イティのような時代だった、などという大胆な「仮説」は立てられることはないと思う。
では、「文」ではなく「物」を扱う「考古学」的に言ってこの「仮説」に矛盾はないのか。
例えばイティハーサでは堂々と、まだ有るはずの無い金属製の剣で戦っている。
これは神が作ったものだから、やがて塵と消えてしまうのだそうだ(文庫6P69)。どんな金属だったのか知らないが、まだ人間には金属器を作る技術が無いようで、現在発掘される、後の時代の青銅器、鉄器とは違うらしい。

菜っ葉を籠に摘んでいるシーンは有るが、農耕を行っているところは出てこないので、不二(フジ)の桃源郷の食卓に出てくる豊かな食物は、神の力によって作ることのできる野菜や魚を採集しているだけなのだろう(文庫5P408〜411あたり)。それを、箸やスプーンを使って食べている(文庫6P338)。また、巨石でできた不思議な建築物も(文庫5P418等)、日本ではそこまでたくさん採れなかっただろうし、人が採石してきて土木工事を行ったのではなく、神が作ったのだろう。そしてその遺跡が現在発掘されないのは、神の作ったものだから塵と消えてしまった為なのだろうか。
例外は、鳥居。これに限っては何故か「目に見えぬ神々が建てたものだから傷付くことも腐ることもない」と言っている(文庫3P68)。どういうわけか剣に関する理屈と逆だ。しかしそれも、目に見えぬ神々の意図で消されていき、イティの時代既に人によって建てられるようになったらしい。いずれにせよ朽ちて消えてしまったのだろう。後に縄文時代の鳥居の存在は立証されていない。

次に衣服はどうだろう。かなり複雑な構造で、この時代ならせいぜい布の真ん中に穴を開けてかぶった貫頭衣なんじゃないか、というイメージとはかけ離れている。材質も麻には見えない。これも神が作ったものかもしれない。空子都(クスト)という人物が鷹野に、この着物は明等神香夜さまが縫わせたものだ、と言っている場面がある(文庫5P375)。その衣装が鷹野の特殊な体の形態にあわせて特別に作らせたものだからこのような言い方をしているのだと思うけれども、話の設定上、作らせたのは神でも、布を織って仕立てたのは人間だと考えられる。
その作り方をこの蒙昧な時代の人間に教えたのは神だろうし、その為の素材をもたらしたのも神だろう。しかし、農耕牧畜という知恵を与えていないところから、さまざまな文明的な物等の作り方を、人間に伝授して文化として発展させるつもりはなかったのだろう。限時的な賜与は有っても、知識の伝授はあまりなされなかったのかもしれない。だとしたらこの漫画の舞台でこの服装をしているからと言って、後の文化と結び付けて考える必要はないのだ。
この文化は、定着してのちの時代に引き継がれることはなかったのだ。そして、神々と共に消えていったのだ。

これらのイティハーサ文明は塵と消えてしまったのだ。考古学的には、人間の作った石器や土器などしか残らないことになり、よってイティハーサの世界が現実とそうかけはなれていたとも言い切れないのかもしれない。

少なくとも、歴史教科書に載っていることは単なる一説にすぎず、いつだって覆される覚悟はしていなければならないのだ。殊に、史料の少ない古い時代においては。いや。よくわかっていると思われがちな近代、現代のことだって、そこに書いてあることは絶対ではない。過ぎたことはもう遺物でしか確かめようが無いのだから、完全に客観的な歴史的真実というものははかりようがない、と私は思っている。
だからこそ、歴史ものを書くには作家の強い主観が必要だし、「歴史もの」とは言えないがこのイティハーサの歴史的な矛盾は許されるのだ。そして、なんとなく古代日本の懐かしさを呼び起こす雰囲気でありながら、歴史がもともと備えているロマンに頼らず、「史実」に縛られていないから、生き生きとして、美しい力を持っているのだ。

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