水樹和佳子『イティハーサ』-MizukiWakako-
集英社ぶ〜けコミックス(全15)1989〜1999年
早川書房ハヤカワ文庫(全7)

今から約1万2千年前の日本。この地は「目に見えぬ神々」のもたらした知恵と真言告(まことのり:呪文のようなもの)に守られた平和な島国だった。
しかし、この平和を脅かす異変が起こっていた。
鷹野(たかや)と、赤ん坊の時拾われて彼に妹として育てられたトオコ達の住む村が、ある時外國の「目に見える神々」の戎士に襲われる。目に見える神々にも、平和を好む神である「亜神」と、争いを好む「威神」とがあることがわかる。鷹野とトオコ、そして真言告を自在に使う青比古(あおひこ)の3人は、「亜神」の徒である、桂(かつら)、一狼太(いちろうた)らと共に、「威神」との戦いへと旅立つ。
目に見えぬ神々はどうしてその存在を消してゆくのか。何故亜神と威神があるのか。そして人とは一体何なのか。それは目に見える神々にさえわからなかったが、そこには何らかの「意図」があるように思われた。神も人も答えを求めて不二(フジ)を、そして永久蛇(トワダ)を目指す。

人の心に有るのは善だけではない。邪悪に惹かれるのもまた人の本質であるのだと、威神の首魁、銀角神・鬼幽は訴える。威神の徒が囚われる破壊への快楽は、威神によって与えられたものではない。もともと人の心に存在するものが引き出されたに過ぎないのだ。自分でも明るい部分しかないように思っていたトオコもまた。
そして人は、神々は何を選ぶのか。
彼らは現代に生きる我々にもこの問いを投げかける。何を選んで生きるのか。
そして追い求め続けよ、と・・・。

人々の服装は古墳時代のものよりも更に現代的な構造であるし、とても1万2千年も前の話とは思われない風俗だが、古代日本の、人が神々と共に生きていた時代を具体的なイメージで違和感無く描いている。難点は、分量の割に話の進行が遅く、まったりとしている所。そしてじらした割に種明かしを文字によるくどくどとした説明に頼っている感がある。
しかし、気付いてみると、何も分からないまま、トオコや鷹野と共に森をさまよい、叫び、惑いながら、冒険を楽しんでいる。

それから、心理描写や世界観の抽象化が目立って、ややしつこいような気もしないではないが、その丁寧な扱い方といい、作者のこれらに関する思い入れや訴えの強さが伝わってくる。
一方、キャラクターの個性は、やや柔軟性に欠けるような気もするが、非常に丁寧に描写されている。特に青比古という人物の描き方が驚くほどうまいと思う。その血筋から、やがて己を失い廃人になると運命付けられている青比古。善と悪、他人と自分との境さえ分からないのだ、と彼は言う。だから危険をもかえりみず人を助けてしまうのだ。決して彼が偽善者なのではなく、まして、善人だからでもない。何も選べないということは、何者でも有り得ないということだ。他人の苦しみに共鳴することはできても、己の苦しみを持つことが無い。「おまえに“人”を哀しむ資格はない」、人というものの哀しさを語る資格はない、と一狼太は言う。悪にも善にも染まりきれずに、それでも悪を選ばねばならなかった者は、青比古を憎み、自分の存在を成り立たせるために、彼を消し去らねばならないと思う。この辺りの青比古と一狼太との関係が絶妙である。

太古の息づきを残す美しい森のざわめき、川の流れ、そして真言告という自然と結びついた「ことば」。それらが耳元に、聞こえてきそうな気がする。
十数年の歳月をかけて描かれた、SFファンタジーの大作。

初出 『ぶ〜け』1986年〜

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