〜紀行文と言うほどに文学的でないにもかかわらず文芸館にしか
置き場所が見つからなかったイリナの旅行記。〜
山の上には生け垣で作っている迷路があった。アウトドア派のK嬢が鳥を集める不思議な道具を持っていて、金属部分を擦りあわせると本当に鳥の声のような音がした。が、実際に野鳥がその音をどのように認識したかは不明。
見晴らしの良い、黒船到来後監視を行った場所には、船に積んであった大砲が。アンナ嬢、バスティーユに白旗が!を連想したらしい。が、オスカルさまポーズをとってはくれなかったので写真無し。
山を下りて、カーチェンカ嬢と二人皆と別行動。お土産を買いに。下田に来た時から気になっていた、伊豆の踊り子キティをとうとうゲットしてしまう。小さい割に高いが・・・こんな素敵な発想反則だ〜。もちろん例の黄八丈に太鼓を背負った踊り子姿。宿への道、中途半端な人魚が橋の欄干に乗っていて、かなり気になった。
手前と奥に、中途半端な人魚の石造。しっぽが手前のような半端な形
買い出しをして、夜は宴会。ボジョレーヌーボーで早速乾杯(*^O^*)ノ私はお酒は苦手。とはいえちょびっと舐めただけでご機嫌に。楽しい宴会、ワインのことからコンピュータのことまでしゃべりにしゃべるT氏の博識には皆びっくり。民族舞踊好きの私は、T氏がアイルランドに住んでいたことを知ってびっくり&大喜び。早速アイルランドの民族舞踊について質問してしまった。その後お部屋でアンナ嬢&カーチェンカ嬢と踊りの練習。皆さんに喜んでいただけたが、布団の上で踊るのはちょっとつらいものが。皆が寝静まった頃ちょっとだけ我に帰った私は急いで温泉に。
ペリーが発見した新種のかたつむり「下田マイマイ」にちなみ、マイマイ通りという商店街が。
二日目。
M氏は故有って東京へ(TT)/~~残りの皆は乗馬組と船釣り組に別れる。私は体調もおもわしくなかったので、ひとり別行動。下田の街を歩きまわった。
開国博物館へ行き、開国の歴史を学ぶ。その後、日米和親条約の結ばれた了仙寺、日露和新条約の長楽寺へ。その近くにペリーロードという、ちょっと洋風な石畳の通りが有った。小さな川にはいくつも趣深い小さな橋がかけられて、古い石造りの建物が立ち並び、柳が何本も植わっていて、暖かな日差しの中うっとりさせられるように輝かしい風景だった。その後うろうろと海の方へ行き、開国記念碑、日本の写真術の祖下岡蓮杖の碑、海辺のペリー来航記念碑、等を見る。途中呼び止められて振り向くと、頭にバスタオルを巻き両手に荷物抱えた地元のおばさま。「きれいな髪ねえ!」えっそうですか・・・?「それってパーマ?何ヶ月おきにかけてるの?えっ半年に一回?それでそんなにきれいにもってるの?私髪の毛の研究してるのよ。今髪洗ってきたのよ〜」しどろもどろに答えている私ににこにこしながらしゃべりかけ、去って行った。
唐人お吉の開いた小料理屋「安直楼」、今はお寿司やさんになっている。開国記念館で見た伝十九歳のお吉写真は、なるほどというくらい綺麗な女性だったが、お吉さんどうやら酒癖が悪かったらしい。そのせいで店を潰してしまい、恋人と別れた・・・悲しい人生。実は例の中途半端な人魚の有った橋が架かっていた稲生沢川にお吉は飛び込んで自殺したのだった。あの人魚実はお吉を偲んで作られたか・・・?お吉さんの人生は、横浜に流れた時期はあったにしろこの狭い地域の中で繰り広げられたのだなあと思うと感慨深い。とはいえ実際彼女がハリスの領事館へ通って行ったのは3夜だけだったという。
安直楼。下田の街にはこのような古い建物が沢山残っている
お昼に皆と合流し、釣り組が釣ってきたきすのお刺し身とてんぶらをごちそうになる。さすが大漁。ここでもう一人のM氏も故有って東京へ(TT)/~~。
それから、歴史散歩ラリーの問題をちょっとやってみたら大体私の行った所がチェックポイントだったので歴史の復習テストのように解いてみた。が、いくつかわからなかったので稲田寺、泰平寺等へ行ってみる。他の皆も一緒に行って問題の答えを考えてくれた。が、行ってみてもよくわからないような問題だった・・・。また皆とペリーロードへ
ペリーロードにて。顔ぼかすのが惜しいほど素敵な美女達
それから皆で「ハリスの足湯」へ行く。町中にある足だけ浸かれる無料の温泉施設。これはいいなあ。しかしハリスが入ったというわけではなく、その功績を称えて名付けたのだという。
これが足湯。お吉の如き美女達のおみあし。私が持ってるのが踊り子キティ
下田は意外と狭くて、ちょっと歩けばすぐ回れてしまった。しかし歴史とドラマとロマンスがたくさん詰まった、静かな港町だった。静かで、海が穏やかで、小さな街だった。心落ち着く2日間の旅だった。